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1959年製のC100

数々の偶然と人々の親切のおかげで、2001年の5月に私の手許に来てくれた、1959年製のC100を紹介させていただきます。入手の経緯は こちらをご覧ください

車体右側面の写真(レッグシールド付き)

C100発売当初は技術的に樹脂製のパーツを車体と同色にする事ができなかったため1959年までのモデルはFrフェンダーが水色であり初期型暫定色と呼ばれている。1959年以降は車体と同色となった。また、レッグシールドは6箇所をボルトで固定する形状だったが1960年からは後部をプレートで押さえる方式に変った。

キャリアは前オーナーが仕事で使う道具が増えたため後年のものと交換、オリジナルは失われていた。現在付けているのはC100でも後期のモノでステ−や手掛けの有無が異なる。手掛け部の無い当時のキャリアがありましたらぜひお譲りください。 (その後、田中さんと臼井さん、中森さんのおかげで当時のパーツを入手する事ができました。ありがとうございます。当時のキャリヤは59年と60年では手掛けの有無以外にも水抜き穴の位置が異なったりといった違いを見る事ができました。2001.11.10)

マフラーもサビによる穴空きで4−5回交換され入手時にはOHCエンジン用のマフラーが付いていた。現在はとりあえず友人からの借り物に付け替えてありますがどなたか当時のマフラーをお持ちに方は譲ってください。なお、当時のマフラーは下部のボルト2本だけで固定されていたため後部が下がってくる事が多く1962年ころから上部にもステ−が追加された。 (その後、中森さんに当時のパーツを分けていただきました。ありがとうございます。2001.11.10)

車体左側面の写真(レッグシールド無し)

車体色は青(マルエムブルー)であるが1959年前期までの塗装は変色しやすく現在は緑色の様である。1959年以降は耐久性に富む塗料が使われ色褪せは少ない。エアクリーナーケースは鉄製で車体と同色。1959年以降はプラスチック製となった。

左右のフォークをつなぐパイプのプラグ(蓋)は水色のゴム製。またスイングアームの左右をつなぐパイプの蓋は鉄製である。いずれも1960年以降はプラスチックの成形品となった。

センタースタンドは鉄棒に補強を加えた構造。後のモデルはパイプがベースであり構造が異なる。

正面の写真

Frウインカーは1960年を境に前期型と後期型に分けられ、両者はレンズおよびハンドル側のベース形状が異なる。ホーンカバーはアルミの鋳物製で1961年以降はアルミ板をプレス成形したものに変った。Frショックは上下のブラケットがアルミ製でスプリングには樹脂製のカバーが付けられているが1960年以降はブラケットが鉄製となりカバーは付かない。

前輪左側面の写真

前後輪共全てのスポークが内側から張られており内張りスポークを呼ばれている。見た目にはすっきりとして美しいが耐久性に難があった様で1959年以降は通常の内外張りとなった。

左側に付くフロントハブ別体のスピードメーターギアユニットは1961年まで採用されたが以降は右側のブレーキパネルに内蔵された。

前輪右側面の写真

フロントブレーキのトルクロッドは1960年までのC100に見られるが以降はコストダウンのため簡略化されブレーキを掛けるとフロントサスが伸び上がるというカブの特徴が生まれた。

また、内張りスポークのハブはブレーキドラムの内径が120ミリで以降のモデルよりもシューの巾が狭い。1959年以降は110ミリ径となり以後そのサイズは現在まで不変。

車体番号とエンジン番号の写真

C100の車体番号には1960年までC100-YY-*****と生産年(西暦)の下2桁が使われていたため生産年の判別が容易。このC100は1959年製である事が分かる。この年の生産台数は167,500台とあるので平均すると月産約13,900台となるがこの当時は毎月加速度的に生産が増加したため実際にはこの年の前半、3−4月ころの製造と思われる。

1959年製のエンジン番号はC100E-9*****と表示されはじめの9は1959年製を表わしている様だ。当時はまだ車体番号とエンジン番号の差は少なくこのC100は9番違いで車体番号の方が若い。

エンジン右側面の写真

1960年までのC100はクランクケースの2箇所と共にシリンダーの両側でもエンジンをマウントしているため吊りカブと呼ばれている。また1961年までのモデルはクラッチ調整用のロックナットが二つあるため二つ星と呼ばれた。以降はアジャストボルトと同軸=ナット1個となりこの構造も現在まで不変。また、このタイプはクラッチディスクが3枚なのに対し以降のモデルは2枚と異なる。

1959年前期までのキャブレターにはティクラーが無く燃料コックのリザーブ機能も無い。なお、本来付いているはずの金属製のブリーザーパイプは失われていた。

エンジン左側面の写真

シフトペダルはアルミ製。耐久性とコスト面からだろう、1959年以降は鉄製となった。また、シリンダー下部のダストガードはアルミ製で内側にはアンダーコート状の塗装が施されている。1959年以降はプラスチック製。

1959年中頃までのモデルはオイルラインのバンジョーボルトがシリンダーヘッドに斜めに付いている。以降は水平。

型式認定番号部分の写真

型式認定プレートはエッチング製でクランクケースにリベット留め。1959年以降はフレームへのリベット留めとなり1960年以降は印刷されたプレートが貼り付けられている。

当初C100は点火コイルをエンジンに内蔵するマグネトー点火であったが初期のモデルは熱による不具合が多発したため2次側の点火コイルをエンジンの外側に移設する対策が取られた様。このC100も対策品に交換されておりハイテンションコードの取り回しやクランクケースのメクラ蓋にその痕跡を見ることができる。

右サイドカバー部分の電装品の写真

1959年後期以降のモデルとはウインカーリレーやレクチファイヤの配置が異なる。レクチファイヤにはMAR 59と印字され生産時期が推察できる。

ハンドル部分の写真

ハンドルグリップは薄青だが1961年以降は茶、黒と変わっていった。またスイッチやホーンボタンは青色でホーンボタンは左右両側についている。1961年以降は黒となりホーンボタンは左側のみ。ニュートラルランプの枠には金属製のリングが嵌められている。1960年以降はプラスチック枠。この車輌のライトカバー(ケース)は樹脂製だが1959年のごく初期までのモデルはアルミ製。

ハンドル自体も前期のタイプは内側が鉄板で覆われたモノコック風の構造。1961年以降はハンドルパイプが見える構造に変っている。エアクリーナーケースのカバーはアルミの鋳物製で1961年以降はアルミ板のプレス成形品。

メーターの写真

1959年前期までのスピードメーターはオートメーター社製でオドメーターの文字はエッチングに色差しという凝ったもの。以降は矢崎、電装、日本精機社製等が使われた。

タンクマークの写真

1959年前半までのタンクマークはネジ留め式。以降は印刷したアルミ板を貼り付ける方式。

タンク上面の写真

当時の小型2輪車はほとんどが2サイクルエンジンで燃料にはガソリンにオイルを混ぜた混合ガソリンが使われていた。そのため誤って混合ガソリンを入れられない様に「ガソリンだけ入れてください。混合油はいけません。」という注意ラベルが1959年まで貼られていた。

シート裏面の写真

茶色がかった赤いシートで後のモデルより先端が尖った形状。シートヒンジにはゴムブッシュが入っている。後部のロゴも旧くて素朴、裏側の鉄板の形状も独特。

ハンドグリップの写真

メインスタンドを掛けるための手掛かりとして1959年まで用いられたが以降はキャリヤの下側に手を掛けやすくする鉄板が付き廃止された。リアショックのボトムケースは鉄製、1959年の後期からアルミ製となり1962年頃から再び鉄製となった。上部にはグリスニップル付き。

テールランプの写真

鷲鼻と称される小型のテールランプ。1961年に大型化されそれ以降も2度に渡って大型化された。

ナンバープレートの写真

当時のままのナンバープレートには松阪市の封印が施されている。

タイヤの写真

前オーナーの話では一度パンクしたことがあるが未交換との事。前後共KOKOKU(興國?)というブランド。

この様に外観からはこうした特徴を見ることができる。なお、C100が発売された年、1958年のモデルではシリンダーヘッドカバー(ロッカーアーム保持部)がアルミ製であったりサイドカバーが鉄製といった特徴を持つ。また、1958年製については別冊モーターサイクリスト誌の1999年11月号に詳しい紹介記事が載っている。(本編の記述には大阪の中森さんにご協力いただきました。多謝)

以上、色々と知ったかぶりして書いてはいますが誤り等がありましたらご指摘くださいませ。あわせてご意見や情報等もお待ちしています。