落札されたC100 そしてこのオークションは多くのC100ファンが気にしていたので、終了間際の息詰まる様な激しい入札の応酬と、それに連動して吊り上がった落札金額にそれぞれが感想を持ち、オークション終了後、C100ファンが集まる掲示板サイトはその話題でもちきりとなった。
入札履歴 掲示板サイトには様々な意見が書き込まれたが、大半は高価格への驚きと適正を欠いた価格へ不満や懸念、そしてオークションの怖さといったものであった。
これまでC100は40年前の旧いバイクとはいえ、スポーツバイクの様にマニアが多い車種とは言えなかったため、取引される価格も手ごろだった。そのため真にC100が好きな人ばかりでなく旧車の入門用やセカンドバイクとして所有される人も多い。
また、価格の安さはマージンを大きく載せる事を困難にし、レストアをしてもそのコストを価格に転嫁する事が難しいため、ブローカーやレストアショップといったプロの参入も避けられていた。
こうした手ごろな価格に私たちは馴らされていたため、今回の落札価格は自分たちのC100趣味が市場原理や経済的強者たちに飲み込まれてしまう事への心配や懸念、疑問につながった訳である。
それを見て私は、C100ファンは自分だけがカブが安く入手できれば良いとは考えない隣人愛のある優しい方が多いのだなぁと、改めてC100仲間の素晴らしさを感じると共に、適正な価格って何だろうと考えずにはいられなかった。
適正価格って何だろう。「適正」を辞書で引くと「適当で、正しい・こと」とあるが抽象的な表現である事には変わらない。考えてみると適正な価格っていうのは人それぞれが個々に考えるものであり、各人で異なるという事だ。シャケの卵なんて人間が食う物では無いと捨てる所があれば、イクラという高級食材として珍重する所もあるのと同じである。
しかし適正価格が各人の考えるモノであるだけなら幾らでも良いし、同じ価値観を持っている人たちだけならその価格もある程度の範囲で収まるだろうが、社会においての適正価格は市場が決めるモノである。オークションは市場そのもの。インターネットは便利ではあるがそのおかげでC100の世界が、市場原理渦巻く経済社会に放り込まれる事になってしまったのだ。
C100の価格の高騰を嘆くC100ファンも考えてみればC100の素晴らしさを話したりホームページで紹介しており、これはC100にプレミアを与えている事に他ならない。私も価格高騰の片棒を担いでいるワケである。
私自身C100に興味を持つきっかけに、価格が手ごろであった事もあるがそれだけでは無い。今はデザインや生い立ち、機械としても素晴らしいと思っているし、同じC100を愛する人たちも大好きだ。今回の事件がC100ファンの気持ちに水を注す様な事になってしまったとしたら残念ではあるが、それだけC100の素晴らしさが多くの人に伝わったという事でもある。悪く考えるのは止めよう。価格の高騰がバブルなら弾けるのを待てば良い。私たちは今その経験のまっただ中にいるのだ。
私はC100がブームになり自分では買えない様な値段になってしまったり、経済的に窮してC100が所有できなくなってしまってもC100が好きであり続けるつもりだし、逆に誰も興味を示さないモノになって自分のカブ(5−6台?)が全部合わせて3千円と言われても、カブが好きであるという気持ちは変わらないだろう。これは決意でもある・・・ちょっと堅くなってしまいましたね(苦笑)